ことばは、私にとって長い間、悩みの種でした。
物心ついた頃から吃音がありました。自分の名前を言おうとするたびに、ことばが出てこない。友達に笑われたこともありました。
生まれは厚木市上依知ですが、小学校に上がる前に座間市に引っ越してきました。旭小学校・東中学校・座間高校と、この地で育ちました。吃音を抱えながらも、地域の人たちに支えられながら過ごした日々は、今も私の根っこにあります。
高校を卒業してから、すぐに専門職の道を歩んだわけではありません。しばらくは仕出し給食の会社で働きました。毎日、食事を届ける仕事です。食べることの大切さ、誰かの暮らしを支えるということを、その仕事から教わりました。
ただ、吃音への思いはずっと消えませんでした。治したいと思い続けていたあの頃、助けてくれる専門家はどこにもいませんでした。ならば自分がなろう。働きながら夜学に通い、言語聴覚士の資格を取ったのは、そういう思いからです。
資格取得後、私は自分自身の吃音と向き合い続けました。評価し、トレーニングメニューを考え、実行する。電話が使えない、コンビニやレストランで注文できないなど、大人になってからも日常生活に支障をきたしていた吃音は、継続的なトレーニングと実践を積み重ねた結果、今では生活上の制限はなくなりました。大学や専門学校で講義をし、ラジオ番組にも出演するようになりました。正しい方法で続けることで、ことばは変わる。それを自分自身で体験しています。
最初の職場の上司から「吃音に特化する前に、まず一通りのことができるようになりなさい」と言われ、新卒から埼玉県所沢市の回復期病院で7年間、成人領域の言語療法に携わりました。
その中で、二つのことを深く感じました。ひとつは、本人の意欲と適切な環境があれば、ことばは確かに回復するという手応え。もうひとつは、回復を望む失語症の方が、退院後にリハビリを続けられる場所がないという現実への悔しさです。いつか自分で、そういう場所をつくろう——そう考えるようになったのは、この頃です。
35歳で地元にUターンしてからは、訪問看護やケアミックス病院での部門立ち上げ、座間市・相模原市での介護予防教室やまちの保健室といった地域活動、そして相模女子大学大学院 社会起業研究科での学びを経て、準備が整いました。令和6年12月に起業し、翌年4月にグリーン・グリーンを開設しました。
回復を諦めないこと。そして、言語聴覚士との個別リハビリだけでなく、同じ悩みを持つ仲間との関係やコミュニケーションが、心を癒し、回復の土台になること。この信念のもと、日々の支援を続けています。